私の記憶をここに刻みます。


by komakishi

<   2005年 05月 ( 5 )   > この月の画像一覧

小牧山。

小牧市のシンボルといっても過言ではない。
今の子供がどうなのかは知らないが、私の世代では、小牧山を登ったこのない子供
はいなかった。

遠足や日の出はもちろん、意味もなく登ることもあった。

小学校5年生の時、南小学校の同級生で 小島君という友達がいた、家は小島剣具
店といって、剣道の道具一式を販売していた。3人兄弟の真ん中。勉強も出来て、遊
びもよく知っていた。

小島君と小牧山を登る時、普通の山道は使わない。山道は普通、山を回るようにして
道ができている。 

しかし、彼と小牧山を登る時、北側の国道155号線よりまっすぐ登る。

すごいのである。獣道であ。時間は短縮できるし、「はらはら」するし。

とてつもなく面白かった。



そういえば、小牧山の観音洞には「首吊りの木」という子供にはとても怖い
場所があった。私の周りだけの噂とおもっていたが、春日井市自分史友の会
というサイトの中に同じ記事があった。


その記事より興味深いものがあったので、引用させていただきます。



因みに、今の小牧山というのはもう山全体が立派な公園になっており、史跡と
しても十分に管理されて、昔の面影は全く見当たらない。
 そして小牧市のホームページには、史跡としての記述はあっても、アメリカ
占領軍が山の東側を削り取った、という事実には一言も触れていない。



知っていましたか?
[PR]
by komakishi | 2005-05-30 23:45 | 昭和52年
私の実家の裏に神社がある。
愛知県というのは、日本で一番神社が多い県だそうで、神社の
名前は「外山神社(とやまじんじゃ)」



普通神社というと、神主さんがいるはずなのですが、ここは無人。
昭和の初期には「祭り」があったそうだが、この時すでに祭りな
どなく、鳥居、神宮、林、竹林、簡単な遊具がある程度の場所で
す。

実家の近くに公園などなかったので、この神社でブランコにのった
り、キャッチボールをしたり、「缶けり」や「ポコペン」など友達
とよく遊んだ。

無人の神社らしくない神社の外山神社。
しかし小牧では少し有名な神社でもあった。
それは、大正時代に「銅鐸」が発見されたからである。
小牧の指定文化財である。

あともう一つ外山神社には思い出がある。
愛知県には大晦日に、新年を迎えるための「どんどん焼き」という
行事が神社で行われる。
お守りやお札などを燃やしたり、詣でをしたり、甘酒を飲んだりと、

この当時、子供は深夜起きていることは許されなかった、外出なんて
もってのほか。 但し例外がある、「大晦日のどんどん焼き」。

子供心にわくわくした行事でもあった。


<参考サイト>
尾張国の祭り 外山神社
写真はこちらのサイトからリンクさせて頂いています。(差し支えある場合はご連絡下さい。)

<余談>---------------------------------
ポコペン
ポコペン、ポコペン だ~れがつつ~いたポコペン~~~

「ポコペン」は放送禁止用語であり差別、軽蔑用語になるそうで。
詳細は安藤彦太郎『中国語と近代日本』
に解説があります。

「引用」~中略~
さかのぼって日清戦争の時にもすでに「兵隊支那語」があって、例えば
「ポコペン」(だめ)、「アンポンタン」(ばか)、「ペケ」などである。
「アンポンタン」とは「王八蛋」、「ペケ」は「不可」、「ポコペン」は
「不〈句多〉本」が語源


他、Wikipedia 参照

どんどん焼き
Wikipedia どんどん焼き 2 を参照
[PR]
by komakishi | 2005-05-28 18:08 | 昭和49年
応時中学入学したその年、体操クラブに入った。
応時中学では クラブと委員会へ入ることは強制であった。

小学校の時から、小牧市スポーツ委員会(正式名称忘れた)
の体操クラブに入っていたので、こんな不器用な私でも、
1年生の早い段階から選手になれた。たまたまである。

体操クラブも他の運動クラブと同様に他の中学との対抗試合
(体操の場合練習)がある。

その時、顧問の先生がよく利用したのが、「子(ね)の子」のおに
ぎり。(当時の顧問は田中先生)

「子(ね)の子」はいろんなところにあったが、主に利用したのは、
2カ所。

・県道名古屋犬山線(旧41号線) 小牧南小学校の近く
 (現在はゲオ)
・国道155せん沿い、小牧市民会館近く

コンビニや弁当屋がなかったので、本当に重宝しました。
私のお気に入りは、「たらこ」と「しぐれ」。

そんな「子(ね)の子」も今は倒産してしまったらしいですね。
[PR]
by komakishi | 2005-05-25 18:34 | 昭和53年
桜井から北外山 南屋敷へ引越しをしてきて
1年が経とうとしています。

名古屋(愛知県)は喫茶店が非常に多い。
どんな田舎へいってもかならず喫茶店がある。

私の実家の前、県道名古屋犬山線(旧国道41号線)
をはさんだ道路側、少し北上したところにある喫茶
店「ルパン」。


その強烈な店名、引っ越してすぐ憶えた。
私は子供なので一人ではいかないが、両親は店が始
まる前には必ず行った。

学校が休みの日曜は私も連れて行ってもらっていた。
そこには3姉妹いてとても綺麗な姉妹だったと記憶して
いる。小学校の低学年はよくこのお店にいって、漫画
をよんだりモーニングトーストを食べたり、名古屋独特
の鉄板に生卵をひいた「ナポリタンスパゲッティー」を
食べたり。

思い出がある。

その後、亡き父の近所付き合いの不器用さが出てあまり
行かなくなった。
私も避けていたわけではないが、年頃になると近所の店
には照れくさくて出入りしなくなるものだ。

でも子供の頃思い出の店でもある。

----------------------------------------------
近況。
2002年頃、突然、妻と尋ねた。
うれしいことに、暖かく迎えてくれた。懐かしい
心の中は涙があふれていた。
もっと早くこのお店に尋ねるべきだった。

この喫茶店「ルパン」は現在も営業中です。。
[PR]
by komakishi | 2005-05-23 00:19 | 昭和47年
私の生まれた小牧市では、自転車のことを「けった」と言う。
関東で「けった」といっても全く通じない。

ことばの由来は「蹴って乗る」「蹴って進む」など色々、本当
のことは知らない。

小学校3年生ともなると自分の自転車が欲しくなる。
周りは補助輪なしで自転車に乗っている。

親もそろそろ子供に自転車でも買ってやろうかと思った時期。
昭和40年代~50年代初期の自転車はやたらと装飾品が多い。
私の周りも「5段変則」「フラッシュウィンカー付き」と無駄
が多いこと。。

私の自転車も製品名は忘れてしまいましたが、この類の自転車
でした。

そして購入した場所が、別所自転車(当時この屋号だったと記憶
しています。)

今も、小牧南小学校の正門にお店を抱える自転車屋です。今は
亡き父の知人のお店だったそうで、お店の方がとても親切だっ
たと記憶しています。

ちなみに今は別所自転車モーター商会というお店で、バイク販売
の店舗と自転車販売店舗両方を経営されています。

代は替わったと思いますが、今も同じ場所で同じ商売をやってい
る。尊敬します。
[PR]
by komakishi | 2005-05-22 20:38 | 昭和48年