私の記憶をここに刻みます。


by komakishi

<   2004年 12月 ( 4 )   > この月の画像一覧

名古屋市の今池。飲食店、風俗店などが多数ある繁華街。
小牧市に住んでいた私にとって、ここにも思い出があります。

今池「呑助飯店」(のみすけはんてん)。

名古屋在住の人でラーメン愛好家には有名なお店。
真っ黒なスープのラーメンは独特で、数多くのTV番組でも紹介をされています。

呑助飯店の思い出、ただ単に「通っていた」という思い出ではありません。
呑助飯店の創業者と私の父は板前修業時代の友人でした。
子供の頃、たまに今池のこの店をおとずれて真っ黒なラーメン(重油ラーメン)と
餃子を食べた思い出以上に、ここの創業者は私の父以上「こわもて」の方という
記憶があります。

このお店、ラーメンが話題となりますが、私は、餃子に思い出があります。

最初にこの味に出会ったのは、たぶん幼稚園の頃、まだ桜井に住んでいた時、
朝方、父がお土産に餃子を買ってきてくれました。
その餃子は冷えていたのですが、とても「美味しいもの」として記憶しています。
子供の頃の味は大人になっても忘れないのでしょうか、私は冷たい餃子が今
でも好きです。

2004年12月29日(水)、26年ぶりにこのお店を訪れました。
お店のレイアウトは昔のまま。
ラーメン、味は忘れていましたが、見た目は昔のまま。
餃子、「こんなに小さかったの?」。

しかし、「こわもて」の創業者はいらっしゃらなかった。

カウンターには創業者の奥様らしき人。
帰り際にお話をさせて頂きました。
私:   「つかぬことをお聞きしますが。。。ここの大将はご健在ですか」
奥様:「いえ。。10年前になくなりました。」(少し疑い?)
私:  「。。。実は、私の父が修行仲間で、私もここに何度かご飯を食べに伺っていました」
奥様:「修行どちらで?」(まだ疑い)
私:「小牧の、○○です。」
奥様:「あ〜。○○さんね、昔はよくみえてりゃあた(名古屋弁:いらっしゃった)」(表情が一気に変わる)
奥様:「あの方は、お寿司の世界にいったからねぇ」

私「実は、5年前に他界してしまって」
奥様:「そうですかぁ。。」

と、会話が続く。。。

父と私の記憶がここでもよみがえりました。

私は、お土産に餃子を2人前もって帰り、ホテルで冷えた餃子を食べました。
外側オレンジ色、内側銀色の「おり」、豚の形のしょうゆさし、その中は餃子のたれとラー油
が混ざっていて。。それを手づかみで。

なつかしい。

今頃、天国で父と創業者でくしゃみをしているかも(笑)。


余談:名古屋では餃子のたれがお店にあります。東京にはありません。
[PR]
by komakishi | 2004-12-31 07:25 | 帰省してみて。

小牧市上新町。

今の小牧をみてとても残念なところがあります。

小牧市上新町。

ご存知ですか? この住所は今ありません。

現在の小牧市小牧 イトーヨーカドー 周辺です。

なぜ、残念なのか。。。

ここは再開発されたのですが、本当に地元の人が望んだ再開発なのか。。。。
大資本の流通店舗、どちらかというと郊外型ロードーサイドのつくりをした店舗が、街を破滅させてしまいました。

誰が悪いのかわかりません、誰も悪くないのかもしれません。

ただし、少なくとも、ここが再開発をされてから、「人」と「活気」がなくなりました。

小牧は小牧であればよかったのですが、ほかの何かを望んだばかりに。

私はいろんな街を見ていますが、この再開発は成功とは思えません。

昔の思い出を引きずっているのではなく、客観的にほかの街(都市計画)と比較をしても
そう思います。

「魂」が感じられません。

古くても、再開発をしなくても、人が活き活きとしているところはたくさんあります。

帰省してみて、ここに来てみて、感じることは。

「虚しさ」です。
[PR]
by komakishi | 2004-12-07 15:14 | 帰省してみて。
とにかく子供の頃から親元を離れたかった私。

当時、高校卒業後 音楽業界を目指すべく東京へ向かう決意は固かったのです。

両親(特に父)は、長男である私を近くにおいて置きたかったのでしょうか、ある日高校生である私をCafeBarへ誘いました。

場所は春日井市の八田町あたりだったと思います。

前面スケルトン張りで、非常におしゃれなお店、「なぜ父が?」と疑問に感じる程父とこの店が不釣合いだったことを思えています。

お店の中も間接照明をつかい、テーブルが数席とカウンターのみ、カウンターにはターンテーブルが2台あり、当時流行していたAORが流れていました。

そのお店には、私と父、そしてもう一人の若い方が。

その方は、現在、小牧市小牧にある「まるや旅館」の跡取りで、現在の四代目の主人でした。
その当時、父とこの方とは交流があったようで、よく話にも出てきました。そしてその方を選んだ理由が「東京から戻り、旅館に新しい風を入れるセンスを持った人」とのこと。

確かに、時の印象として、おしゃれな格好とワンポイントの髭がかっこかったのと、「どこか違う」という感じがしました。

その時の会話ですが、要約すると「音楽の道を真剣に考えるのならば、音大学へすすめ」と「東京は自分に強くなければ怖い」という内容。

で、結論。

私は東京へ向かう前に中部大学へ進学しそこでいろいろ学んだ後、結局東京へ上京したのであります。


もし、仮にこのまるや旅館の主人がこのBLOGをご覧になっても覚えていないでしょうね、悲しいかな。。。。
[PR]
by komakishi | 2004-12-07 15:05 | 昭和58年
まもなく中学生。

小学の最後の冬になりました。この年の記憶はあまりないのですが。
6年という小学校から中学への進学に非常に不安を感じていました。

小学6年の時の中井先生には非常にお世話になったという思いでも
あり。わからない世界への不安が広がった時でもあります。


私は小学校5年生より学校へは秘密で、小牧ストアーという今でいう
ショッピングモール(笑)にあった伊賀商店というお菓子やさんにてア
ルバイトをしておりこの年の冬もいつもの通りお小遣い稼ぎというこ
とでアルバイトをしていました。

ふとその繋がりで思い出したのが、当時学校の近くにあったお店。

小牧南小学校の裏には水野屋というお店がありました。
お菓子とパンと文房具が販売されていたのですが、ここで購入しては
いけないもの。それは「菓子パン」。

なぜかというと。

賞味期限を無視していたからです!!これは事実で。よくカビの生えた
パンを店頭にどうどうとおいていました。
現在、賞味期限管理が徹底されているコンビニでは考えられないので
すが、当時は珍しい出来事ではありませんでした。


もうひとつ、応時中学の裏には石田商店というお店がありました。
お菓子、カップヌードル、文房具を販売しているお店。ここには水野屋の
ような「菓子パン」はなく、当たり前ではありますがちゃんと賞味期限の
管理された食品が売られていました。

このお店の思い出は、カップヌードル。
今の子供は学校帰りコンビニで「買い食い(死後?)」をしても問題がない
のですが、私達の時代は非常に怒られる要素の一つでした。
 石田商店ではカップヌードルにお湯をいれて食べさせてくれるスペースが
店の裏にありました。食べ盛りの子供が部活(クラブ活動)の帰り、空腹を
満たしてくれる楽園のような場所。お店の人も学校の先生が通りと教えたり
して、本当にお世話になりました。

このお店のどちらも個人商店。

コンビニが全盛の現代。こんな個性的なお店は存在しないのでしょうね。
[PR]
by komakishi | 2004-12-05 01:23 | 昭和52年