私の記憶をここに刻みます。


by komakishi

カテゴリ:昭和51年( 5 )

夏が来ると思い出す。
セミの声、小牧市七夕祭り、そしてうなぎ。

土曜の頃、学校から自宅に戻る。
ダクト(換気扇)の「ゴォ~」という音と一緒に
うなぎの香りが私をつつむ。

「ただいま~」と裏から店に入ると、そこは慌ただしい。

この頃、自宅は1階で、お店の奥にすまいがあった。
裏口から入って、お勝手を通りトイレの前を通過して
始めてすまいにたどり着く。

弟はまだ4歳。幼稚園に通い始めたばかり。
家は父と母と職人とパート4~5人でまわしていたため
家事ができない。
細川さんという自宅の近くにすんでいたおばあちゃんが
洗濯やその他を手伝ってくれていた。

すまいについて、じっと待つ。

時間は14:00頃、

母が「昼食だよ」と呼びに来る。
飲食店の昼食は14:00位、昼の部から夜の部の間を準備中
とする我が家では、この準備中に食事をとる。

テレビでは吉本新喜劇が流れる、間寛平、木村進などが
若手として活躍している。

そんな昼に「うなぎ丼」が出る。
カレー、スパゲティー、ハンバーグが好きな子供にとって
ありがたくない食事。

おいしいとは感じない。

でもタレは好きだった。

飲食店は毎日 お米がたけているので、小腹が空いたら、
ご飯にタレをかけて食べる。
タレは、小牧の味噌鉄というお店で売っている醤油を父が
加工して作ったもの、何年も継ぎ足している。

旨かった。

うなぎ屋の息子にとっての土用の丑の日は夏の思い出である。

また食べたいなぁ~ でもあの味を再現できる人はこの世にいない。
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by komakishi | 2007-07-31 18:53 | 昭和51年
小牧ストアがオープンして1年、小牧ストアに入居しているお店のオーナーや
店員が、父の経営するお店に来店してくれるようになり、常連化していました。

父と世代が近いのか、非常に親しい仲のように感じました。

冬休みのある日、母が「ぼ~としとるんだったら、ちょっと知り合いの所へ
いってお手伝いしてりゃぁ~」。

ということで、小学校5年生なのに、なぜか、小牧ストアでバイトしていました。

バイトをしていたのは、伊賀商店というお菓子屋。

仕事の内容は、

・お菓子を袋につめる
・お菓子を陳列する
・お菓子を売る。

働く時間は朝9:00頃から夕方17:00頃まで、ほぼ毎日。

ここのオーナ伊賀ゆうじろうさんは、兄弟で伊賀商店を立ち上げて、小牧のお店
をまかされていました。
仕事にはとても厳しく、小学生の私にも厳しく指導をしてくれていました。

それにしても、小学生があかの他人の店で仕事をする。

今、考えると、自宅でお店の手伝いをするより、他人に預けることで商人として
一人前にしたいという母の思い入れだったのかなぁ~なんて考えたりしています。

初めてのアルバイト、もらた給料。
金額は忘れましたが「働くことのありがたさ」を覚えました。


「伊賀商店」中学までお世話になったお店です。
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by komakishi | 2006-01-14 17:02 | 昭和51年
小学校5年生 この頃から友人と名古屋に出かけることを始める。
私の自宅から東方 徒歩10分くらいの所に駅がある。
名鉄小牧線「間内」駅

間内駅から、名古屋へ向かうには、名鉄小牧線の終点「上飯田」駅
まで向かい、そこから徒歩で、名古屋地下鉄名城線「平安通」駅ま
で行きそこから「栄」ないし「名駅」に向かう。

間内駅は小牧から外へ出る唯一の手段である。
「間内駅そのものが小牧市ではなく春日井市だ」とつっこまれそう
だが、細かいことはさておき。

この間内駅、単線から複線になったばかり。
朝夕のラッシュ時はホームあふれんばかりの混雑となるが、日中は、
閑散とした駅。

駅は、切符を自動販売機ないし駅員さんから購入をする。まだ名鉄
小牧線には導入されていないので、厚紙の切符だ。

電車がくるまで時間がある時は、駅の売店でお菓子や飲み物を買う。
売店といってもキヨスクのように独立しものが豊富においてあるス
タンドではなく、切符の自動販売機のしたにガラスケースの中に
陳列してあるだけ、販売はもちろん駅員さん。兼務ですね。

電車は1時間に上下6〜8本。長くても15分感覚なので、まぁ苦に
ならない感覚である。

名古屋への足となる駅であったため、周辺には店がいくつかあった。
一番目立つのは、線路の手前にある。スーパー「Vマート間内店」
高校入学後アルバイトをすることになるスーパーである。

線路を超えると、電気屋、喫茶店が2店、お好み焼き屋、酒屋、お菓子
屋など。商店街とまではいかないがまぁぼちぼち栄えていた。

私にとって便利な駅であった。

補足:
現在の間内駅は、自動改札の無人駅であり、改札は二カ所ある。
現在の名鉄小牧線は、「上飯田」駅から地下鉄平安通線で「平安通」
に接続をしている。
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by komakishi | 2005-06-09 09:54 | 昭和51年
たぶん小学5年になったころである。
友人は沢山いたが、飯田君とはよく遊んだ。当時彼の家は小牧ストアの近くに住んでいた。何故よく遊んでいたのかはわからないがとにかくよく遊んでいたのである。

当時私の移動手段は「けった」(名古屋弁)つまり自転車であった。
東京の子供と違って渋谷や池袋という地域が小牧にはないので、遊ぶと言えば、ショッピングセンター(当時私はデパートと思っていた)の周辺。

小牧のショッピングセンターは主に駅周辺のユニーとジャスコであったが、この頃(正確ではないが)、小牧山の近くにユニーができた。2階建てではあるが売り場の面積は当時小牧一、このユニー、小牧駅と分けるために
「ぞうさんユニー」と呼ばれていた、それは「とうや」の所にユニーという名称と「象」のマークがあったからである。
この「象」の意味は、わからない。

このぞうさんユニーによく行った、一緒にここに行ったのが飯田君である。

1階は食料品売り場と雑貨系のテナントがあった、私は主にレコード屋でたむろってた。後にここは新星堂になるが当時から新星堂かどうか憶えていない。
そういえば、ここのイベントでベイシティーローラーズのフィルムコンサートを主催した、参加をしたら女の子だらけで、とても恥ずかしかったのを憶えている。

2階は主に衣服の売り場と、ショッピングセンター名物のゲームコーナー、飲食コーナーがあった。当然私はゲームと寿きやのラーメンははずさなかった。

そういえば、このユニー、小牧では初めてエレベーターのついたショッピングセンターでもあった。

追伸:飯田君も今は小牧ではないそうだ。数年前に某同窓会サイトで彼とやりとりをした。
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by komakishi | 2004-05-19 21:28 | 昭和51年
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子供の頃から私は、自然ではないもの、つまりメカ系が好きだったようです。

小学校の5年生の頃、オーデオブームに入るか入らないかの時です。私は
東芝のアクタスパラボラ(S2800)というラジカセがどうしても欲しかった。そ
の時、父の店が軌道にのり始めた時期でもあったので、半年願い続けた結果
買ってもらいました。
私はここからこのメカ系ヘ入り込み、その後 PCへそして今の仕事へ結びつ
いたと思っています。 今思えば亡き父親には感謝です。

このラジカセで遊んだ内容。
・このラジカセの特徴であるパラボラアンテナを使い、「生ロク」を
 しまくる。
・SW(短波放送)への興味
・ラジオのエアーチェック

その当時、はまっていたラジオ放送。
 CBC(中部日本放送) つボイノリオ のりのりだぁ歌謡曲
                星空ワイド 今夜もシャララ
                       (多田成男、小多田成男、野口小五郎、
                        八島洋子。。)
 東海ラジオ        ミッドナイト東海
                       (笑福亭鶴瓶、宮地由起夫。。。)


このラジカセをどこで買ってきたのか私はわかりませんが、たぶん
小牧の電気屋でしょう。ホーエ家電も栄電社もなかった時期です。

小学5年生、11歳の私、亡き父の年齢は34歳。今の私より若い。
でも今子供がいたら何を買ってあげるのでしょうか?何でも買い与えること
はしたくはありません。
できればこの時のラジカセのように、将来へつながるものであれば。。。

この年の出来事
Apple Computer Inc.設立 (偶然ですね。)
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by komakishi | 2004-05-18 01:28 | 昭和51年