私の記憶をここに刻みます。


by komakishi

カテゴリ:昭和61年( 2 )

大学3年の冬。日中は学業とVocal部でバンド、夜は
K.F.C(ケンタッキー)のアルバイト。
とにかく忙しい。

しかしこの頃から忙しさのしわ寄せが体に来る。


ある朝起きると、腰が痛い。
その時は、あまり気にしなかった。


ある朝起きると、腰が伸びない。
よく意味がわからなかった。


ある朝起きると、背骨がゆがんでいる。


ある朝起きると、うまく歩けない。


ある朝起きると、車の運転ができない。


ある朝起きると。。。

日々おかしくなってゆく。

両親は、そんな私に無関心である。
まぁ、家の手伝いもせず、家にもほとんどいないので。。

そして、そんな私は最初、知人の紹介で接骨院に行った。

でも直らない。

そして、とうとう激痛が全身を。

名鉄小牧線「間内」駅の近く井上医院の井上先生に
見てもらうこととなる。

井上医院は、小学の時からのかかりつけのお医者さん。


そこで入院をすすめられる。

両親に入院決定の話をし、中部大学へ向かう。

当時一番お世話になっていた、外書購読(行動科学)
の喜味田(かみた)教授にも相談。
「ゆっくり病気を治しなさい、復学をしたら私の講義
にまたきなさい」とてもやさしい教授であった。

結局大学は下期の試験直前のため、この年の通年単位
下期講義の単位は全て取得できず留年が決定すること
となる。


12月15日 入院。

暗い病室。

年は暮れてゆく。


補足:--------------------------------------------------------

現在の井上医院の院長先生は、お世話になった井上先生
の息子さんだそうです。

嘉味田教授 (嘉味田 朝功) 元中部大学教授
    
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by komakishi | 2005-06-11 10:19 | 昭和61年
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大学時代に所属していた音楽系の部活、中部大学ヴォーカル部。
私は高校より出入りをしていた 日本楽器 名古屋店(現在 YAHAMA 名古屋店)のつながりからこの部活へ入部していた。
もともと音楽活動、いわばバンドに夢をみていたので当然という行動だと
思う。
入部より3年め、この部活では幹部となり、エバ担当(エバグリーン:愛知学生フォークソング連盟)として、愛知県の大学の音楽系の部と交流をはかっていた。
先にも書いたが、もともと日本楽器と交流のあった私は、当時 名城大学の先輩であり日本楽器内のつながりのある小島さんの紹介で、日本楽器の音楽コンテストのアルバイトをすることになった。
コンテストといっても、会場整理ではなく、ステージのキーボード周りです。当時すでにステージ周りの仕事をこなしていた私にとっては楽勝の仕事と思っていたが。。。
この音楽コンテストの当日は8月3日(日)。セッティングは前日の8月2日(土)。そしてコンテストの通しリハーサルは8月1日(金)。

つまり。。。3日間全く眠らない肉体労働でした。。。。

当日の8月3日は真夏日の炎天下、ポッカのウイリィーという甘い変なお茶飲み放題であったが、さすがにきつい。当時デビューしたてのTUBEの演奏後、エレピの上にあった譜面をGETしたり(現在紛失)、原田真二のライブに感動したりとよいこともあったが。
本番、「ちょっと気を抜いた」性か、あるバンドのキーボードの音が出ずに、ステージ周りの小島さんにおもいっきりはたかれた(バンド名わすれたが、ごめんなさい)。

でも今となってはいい思い出。

しかし、この時の疲労がたたったのか。。。この年の冬、私の人生を大きく左右するある出来事が。。。

【データ】
MIDLAND’86
◆グランプリ大会◆
開催日 1986年8月3日(日)
開催場所 名古屋城深井丸広場
ゲスト TUBE、原田真二&CRISIS
審査員 鳴瀬喜博、三国義貴、小川銀次、藤田伸彦、山内准二、他数名
MC 河原龍夫&西部みどり
主催 日本楽器製造(株)デジタル楽器事業部名古屋営業所
後援 名古屋城夏まつり実行委員会・中日新聞社、名古屋タイムズ社、東海ラジオ放送、東海テレビ放送、日本航空、ヤマハ中部(株)、財団法人ヤマハ音楽振興会名古屋支部
協力 サンデーフォークプロモーション
提供 ポッカ コーポレーション


この年の出来事
1月22日 Appleがマッキントッシュを発表
チェッカーズが大ヒット(なんとこの日本楽器系の音楽イベント出身)
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by komakishi | 2004-02-24 00:57 | 昭和61年