私の記憶をここに刻みます。


by komakishi

カテゴリ:昭和52年( 3 )

小学6年の夏、小牧にはレジャー施設があまりない。

両親が営んでいた店は、木曜が定休日である。

父は板前なので、定休日は家で「焼肉」か「すき焼き」を食べるのが基本であったが、たまに
は外食をした。

西春日井郡豊山町、父は豊場と呼んでいた。豊山町には小牧空港(名古屋空港)
があり、その近くには「空港ボール」がある。国道41号線沿いである。
(実は豊場は豊山町の地名の一つである)


空港ボールには2点の外食店が入っている。

「ステーキのあさくま」
ラテン系の曲に合わせて「ウェルカムトゥ アサクマ」というCFが印象に残って
いる。ファミレスという言葉がまだあまり普及していないので、このお店はレス
トラン、ステーキとハンバーグのお店である。
私は贅沢にも、テンダロインステーキをいつも食べていた。これは板前である父
が、子供頃からいいものを食べさせるというポリシーだったためである。
(子供の私はハンバーグが食べたかった)

「頤和園(いわえん)」
少し贅沢な中華料理。ここの社長は父のマージャン仲間である。
コーンスープと鳥のから揚げが私の定番である

父のその時の気分で、このお店のいずれかを選んでいた。

食後は、空港ボールなので、ボウリング。。といいたいところだが。
実は「パチンコ」である。

子供にパチンコをやらせるなんて、とんでもない親である。

しかし、名古屋はパチンコ屋がおおく何故か生活になじんでいるのでそんなこと
「おかまいなし」 

怖い話だ。

パチンコに飽きると、ゲームセンターでインベーダーゲーム。

定休日、家族団らんのレジャーである(笑)

空港ボールついでに。
ここにはサウナがある。夜、父のよくサウナにつれていってもらった。
サウナデビューは小学校6年生頃、しかも深夜。

本当にとんでもない親である(笑)



参考: 空港ボールは現在わくわくボウルと呼ばれている。
    豊山町、小牧市の隣にある町、世界のイチロー生誕の地である(おおげさ?)
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by komakishi | 2005-06-08 01:49 | 昭和52年
小牧山。

小牧市のシンボルといっても過言ではない。
今の子供がどうなのかは知らないが、私の世代では、小牧山を登ったこのない子供
はいなかった。

遠足や日の出はもちろん、意味もなく登ることもあった。

小学校5年生の時、南小学校の同級生で 小島君という友達がいた、家は小島剣具
店といって、剣道の道具一式を販売していた。3人兄弟の真ん中。勉強も出来て、遊
びもよく知っていた。

小島君と小牧山を登る時、普通の山道は使わない。山道は普通、山を回るようにして
道ができている。 

しかし、彼と小牧山を登る時、北側の国道155号線よりまっすぐ登る。

すごいのである。獣道であ。時間は短縮できるし、「はらはら」するし。

とてつもなく面白かった。



そういえば、小牧山の観音洞には「首吊りの木」という子供にはとても怖い
場所があった。私の周りだけの噂とおもっていたが、春日井市自分史友の会
というサイトの中に同じ記事があった。


その記事より興味深いものがあったので、引用させていただきます。



因みに、今の小牧山というのはもう山全体が立派な公園になっており、史跡と
しても十分に管理されて、昔の面影は全く見当たらない。
 そして小牧市のホームページには、史跡としての記述はあっても、アメリカ
占領軍が山の東側を削り取った、という事実には一言も触れていない。



知っていましたか?
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by komakishi | 2005-05-30 23:45 | 昭和52年
まもなく中学生。

小学の最後の冬になりました。この年の記憶はあまりないのですが。
6年という小学校から中学への進学に非常に不安を感じていました。

小学6年の時の中井先生には非常にお世話になったという思いでも
あり。わからない世界への不安が広がった時でもあります。


私は小学校5年生より学校へは秘密で、小牧ストアーという今でいう
ショッピングモール(笑)にあった伊賀商店というお菓子やさんにてア
ルバイトをしておりこの年の冬もいつもの通りお小遣い稼ぎというこ
とでアルバイトをしていました。

ふとその繋がりで思い出したのが、当時学校の近くにあったお店。

小牧南小学校の裏には水野屋というお店がありました。
お菓子とパンと文房具が販売されていたのですが、ここで購入しては
いけないもの。それは「菓子パン」。

なぜかというと。

賞味期限を無視していたからです!!これは事実で。よくカビの生えた
パンを店頭にどうどうとおいていました。
現在、賞味期限管理が徹底されているコンビニでは考えられないので
すが、当時は珍しい出来事ではありませんでした。


もうひとつ、応時中学の裏には石田商店というお店がありました。
お菓子、カップヌードル、文房具を販売しているお店。ここには水野屋の
ような「菓子パン」はなく、当たり前ではありますがちゃんと賞味期限の
管理された食品が売られていました。

このお店の思い出は、カップヌードル。
今の子供は学校帰りコンビニで「買い食い(死後?)」をしても問題がない
のですが、私達の時代は非常に怒られる要素の一つでした。
 石田商店ではカップヌードルにお湯をいれて食べさせてくれるスペースが
店の裏にありました。食べ盛りの子供が部活(クラブ活動)の帰り、空腹を
満たしてくれる楽園のような場所。お店の人も学校の先生が通りと教えたり
して、本当にお世話になりました。

このお店のどちらも個人商店。

コンビニが全盛の現代。こんな個性的なお店は存在しないのでしょうね。
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by komakishi | 2004-12-05 01:23 | 昭和52年