私の記憶をここに刻みます。


by komakishi

カテゴリ:昭和59年( 4 )

大学生活、クラブ生活にも慣れてきた夏。

合宿を前にして、Vocal部の先輩より「右京のお好み焼きを買ってきてくれ!」
との指令が出ました。

お好み焼き「右京」

春日井市は松本町、中部大学がある春日ケ丘の「ふもと(?)」にある数坪程の
小さなお好み焼き屋。

メニューはお好み焼きと焼きそば そして定番の具達。

私達は常連でした、なにせ370円で特大サイズのお好み焼きが食べられるので
す。
量を考えると、学食の「味噌かつ定食」と同じ値段なのですが、それより遥か
上をいっていました。

お好み焼きは愛知独特の薄皮にキャベツが沢山はいっているスタイル。

今は存在しませんけど、旨かったなぁ〜
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by komakishi | 2006-12-04 15:41 | 昭和59年
ケンタッキーフライドチキン小牧店。(KFC小牧店)でのアルバイトはいい経験でした。

ケンタッキーフライドチキン小牧店でのアルバイト、夕飯はチキンではなく、近くの中華料理
屋から出前を取ります。

国道155線沿いケンタッキーフライドチキン小牧店の向かいにある中華料理屋「天津」
アルバイト中の空腹を満たしてくれるのには十分で味もよし!

そして、マスターとママさんがとてもいい人。但し夫婦喧嘩をしている時は要注意でしたが(笑)

私はいつも 味噌麻婆豆腐の10辛を頼んでいました。 10辛は普通存在しません。
他には、かいこうチャーハン(チャーハンの上にかいこう料理がのってます。)

閉店後も、天津に行って、スープ餃子や台湾ラーメン、そして名物のから揚げを食しましたね。

天津とケンタッキーフライドチキンの絆はすごくて、ケンタッキーOFFのアルバイトが天津に
いたり、年末の大掃除にはケンタッキーのアルバイトが天津の掃除を手伝ったり。

また、ケンタッキーの一大イベント、クリスマスには天津から差し入れあったり。

とても、いい絆というか関係でした。
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by komakishi | 2006-11-02 19:21 | 昭和59年
Bandにあこがれて。。私ができることはなんだろう。
そして始めたキーボード。
日本楽器(YAMAHA)名古屋店、LM販売の倉知さんの薦めで入った
キーボード教室。
そこで出会った講師の服部さん。

偉大なる師匠です。その服部さんの紹介で。。。。
vocal部に入りました。

新入生のため、中部大学学食の前で演奏をしていたバンド。
それがVocal部。
「これがVocal部~」と見ていたところ。
MICから「服部さん紹介の●●(本名)。。」とい小声が、その時オルガンを弾いていた
市川さんが私の呼びました。。

ここから私のVocal部生活が始まりました。

音楽部でありながら体育系。とても不思議でしたが、先輩と後輩、現役とOBがつながっている。

大学生活の中で一番思い出の深い。生活の始まりです。
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by komakishi | 2004-06-01 02:50 | 昭和59年
大学生活にも慣れ、クラブ活動も安定してきた。
そろそろ地元でアルバイトでも再開をしたいと思っていた。。。
国道155線を小牧山から国道41号線に向けて、自転車でとおりかかったところ、ふと「アルバイト募集」の貼り紙が目に止まった。

その貼り紙がはってあった建物。。ケンタッキーフライドチキン小牧店。(KFC小牧店)

早速、履歴書を用意し面接の申込みを。

即採用であった。

ここのアルバイト、私の人生の中でも非常に思い出に残るアルバイト。
いろんなことがありました。。。詳しくはいくつかに分けて書きます。

今回は入りたてのお話。

アルバイト初め。
当時の小牧店の店長は丹羽店長、非常に若い店長で若さゆえの暴走ぎみデリケートでプライドの高い人。副店長は波多野副店長、店長と違い、おおざっぱ、暴力的、言い換えれば子供。
(店長、副店長とも好きでした)
そんな上司の元、多くのアルバイトの先輩のもとで色々と学んだ。

驚いたのはアルバイトでありながら社員と同じ、いえそれ以上の責任感があることである。

仕事に対してはプロです。まるでアルバイトがまわしているような感じであった。
遊びもワイルド。「走り屋」が多く、よく皆でつるんでいたようだ。
私も大学やクラブの先輩よりアルバイトの仲間の方が気があった。
(田中さん、清水さん、スミカマさん、木野さん、安藤さん、斉藤さん、山下さん、大野さん、米津、橋本。。。。が始めた頃のメンバー)

大学、クラブ活動、アルバイト。。大学生活に突入したのであった!!

あ~この続きを書くのが楽しみです。。
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by komakishi | 2004-05-26 23:57 | 昭和59年