私の記憶をここに刻みます。


by komakishi

昭和53年(1978年)春 応時中学校

4月より中学生。入学をしたのは応時中学校
当時はまだ新設校である。


応時中学校のサイトより直接リンクをさせて頂きました

「時に応じて」かなにか知らないが古い言葉からの流用だそうだ、学校の名前には珍しく地名ではない。
授業始業、終業のチャイムがないのも当時は斬新であった。

私は1年3組だったと思う、担任は江口和子先生、当時42歳で独身、特殊学級を受け持つことができる免許も持っている。担当は美術。1年目はわからなかったが、3年も同じくこの方が担任になっであった。その時 「ヒステリックでわがまま、生徒のひいきの激しい先生」ということがわかった。
本人悪気がなかったのかもしれない、もしかすると生徒との接し方がわからなかったのかといまさら思う。

中学に入って、科目毎に先生が変わった。
理科は林先生、英語は松下先生(松下薬局というお店のこどもらしい)、音楽は山本先生、体育は押谷先生。。。。こんな感じだ。

授業もそうだが、管理教育を目指していた愛知県。応時中学では、クラブ活動と委員会活動は強制されていた(義務という表現がよいかも?)

私が所属していたのは。

委員会 放送委員会 校内放送を受け持つ。小学校からの流れ。
クラブ  体操クラブ 説明不要。これも小学校からの流れ。


小学校と比べ色々と変わった、ある意味少し生意気なガキというか、大人になれた感じもした。

この年のできごと
5月21日 - 新東京国際空港(成田空港)開港。
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by komakishi | 2004-05-19 13:18 | 昭和53年