私の記憶をここに刻みます。


by komakishi

昭和54年(1979年)春 応時中学の公式通学路と私の通学路

私は通学路を守ったことがなかった。
守ったのは中学1年の秋頃まで。
それ以降は、応時中学校が定めた通学路を通らず、独自の通学路で通っていた。
通学路は、学校が「安全と認めた通路」だと思うのだが、体操クラブでヘトヘ
トの私には、こんか遠回りをする通学路は歩きたくなかった。

でも不思議なことにその独自であるはずの通学路、私以外の生徒を使っていたの
で、皆も同じ考えだったのだろう。

校門を出て300m先を皆と違う方向へ。

最初は公道をあるき、途中から私道をぬける。そして大通り。

その大通りに前の喫茶店があった。
場所は、大山というところにある「支留比亜(しるびあ)」という名前のお店。
なんとまぁ、暴走族的な名前。「なめ猫」が考えだされた土地柄なのか、今見る
と笑ってしまう。


<余談>
 このお店にあったピザトーストは、まだピザが貴重品(笑)だったこの時代に
は画期的なメニューであった。
親と「支留比亜(しるびあ)」に行ったら必ずこのピザトーストを食した。
 「支留比亜(しるびあ)」の詳しい情報は「まるがさん」の
 *まるが*くいだおれブログ*をご覧ください。



この「支留比亜(しるびあ)」の裏を通り、この先は田畑のあぜ道を抜ける。

あぜ道の途中に名鉄小牧線の線路(踏切)がある、遮断機もないのでとても危険
である。
(現在この辺りの線路は地下化している)

そこを超え池田川を渡ると、左側にVマート外山店、右に小牧ストアが見える。

そこから500m先あたりから公式の通学路に合流する。

つまり。。
私道、あぜ道、遮断機のない線路。学校としては絶対認めない通学路ですね。
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by komakishi | 2005-06-03 12:00 | 昭和54年